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東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)157号 判決

原告 佐藤製薬株式会社

被告 マダム石鹸株式会社

主文

特許庁が昭和四九年審判第七五一〇号事件について昭和五二年七月四日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

原告は、主文と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第二当事者の主張

(原告)

請求原因

一  特許庁における手続の経緯

原告は、別紙第一記載のとおりの図形からなる商標(昭和四二年二月一五日登録出願、昭和四四年三月二四日出願公告、同年九月五日登録、第八三〇八二七号、指定商品第四類「せつけん類(薬剤に属するものを除く。)、歯みがき、化粧品(薬剤に属するものを除く。)、香料類」、以下「本件商標」という。)の商標権者であるところ、被告は昭和四九年九月三日原告を被請求人として本件商標の登録無効の審判を請求し、昭和四九年審判第七五一〇号事件として審理されたが、昭和五二年七月四日「本件商標はその指定商品中「せつけん及び歯みがき」についてその登録を無効とする。」旨の審決(以下「本件審決」という。)があり、その謄本は同年八月一三日原告に送達された。

二  本件審決の理由の要点

本件商標は前項記載のとおりのものである。

他方、登録第四二〇五四五号商標(以下「引用A商標」という。)は別紙第二に示すとおりの図形から成り、昭和二四年一〇月一一日登録出願、昭和二七年八月六日出願公告、また、登録第四二〇五四六号商標(以下「引用B商標」という。)は別紙第三に示すとおりの図形及び文字(日本文字及び欧文字)を結合した構成から成り、昭和二四年一〇月一七日登録出願、昭和二七年八月六日出願公告にかかるものであり、いずれも、(旧)第五類「歯磨及び洗粉」を指定商品として、昭和二八年一月二七日設定の登録、昭和四八年五月一五日商標権存続期間更新の登録が経由されていて、請求人を商標権者とするものである。

ところで、本件商標は、別紙第一記載のとおり象の特徴をそのまゝ端的に表現するもので、明らかに象を描いてなるものと認められる。そうすれば、本件商標より、仮に「チビゾウ」(チビ象)などの称呼、観念を生ずる場合があるとしても、その構成に相応して、単なる「ゾウ」(象)の称呼、観念を生ずることもまた自然なところである。

一方、引用のA・B商標からは、その構成に相応して、「ゾウ」(象)の称呼、観念を生ずるものと認められる。

結局、本件商標と引用A・B両商標とは、「ゾウ」(象)の称呼、観念を同じくする類似の商標であり、かつ、引用A・B両商標の指定商品と本件商標の指定商品中「せつけん」「歯みがき」とは同一もしくは類似の商品と認められるから、本件商標の登録は、その登録にかかる指定商品中「せつけん、歯みがき」について、商標法第四条第一項第一一号の規定に違反して登録されたものとして、同法第四六条第一項第一号の規定により無効とすべきものである。

三  本件審決の取消事由

本件審決は、本件商標から単なる「ゾウ」(象)の称呼、観念を生ずるとしているが、その判断は誤りである。本件商標の登録査定当時(昭和四四年八月一日当時)、本件商標からそのような称呼、観念を生ずることはなかつた。以下、詳説する。

1 本件商標は、別紙第一に示す構成(図形)から明らかなように、象の本質的特徴(長い鼻、扁平な耳朶)はなお具備しているが、何よりもまず、人の幼児にしばしば観察される、両手を前方に差出し、両足を前に投げ出したような座位にあることが特徴的である。また、象の眼は一般に細いものと認識されているが、このような常識に反し、丸い大きな眼が描かれており、その上には眉毛も描かれている。これらは人間の乳幼児を想起させるように擬人化したものである。さらに、耳朶は半円形のやゝ厚い板状をしており、鼻も一般に象のそれとして認識されているものに比し遙かに短かく、また、屈曲することなく前方に突出されている。手足の先端も比較的大径の円盤状に形成されているのであつて、本件商標の全体は著しく擬人化されており、かつ、その上に一種独特の個性を有するに至つていて、一つのキヤラクターが作り上げられている。

したがつて、本件商標の図形は、たとえば、漫画の「のらくろ」が擬人化された犬であるにも拘らず、「さざえさん」が一人の主婦あるいは女性を表現したものであるに拘らず、一般的に「犬」「主婦(女性)」を観念するものではないのと同様に、単なる「象」ではない。

2 原告会社では、昭和三〇年頃から、自社の全商品に使用することはもちろん、自社の企業活動そのものを表示し、さらには自社商品を扱う薬局、薬店を表示するためにも使用しうべき、いわゆるトレード・キヤラクターの採択を企図し、シナリオライター、童話作家として高名な飯沢匡、童画家として高名な土方重已等の主宰するシバプロダクシヨンに依頼して本件商標の子象図形を創作し、更に、これを立体化したものをプラスチツクで大小さまざまに製造して、一般需要者、取引者に配布してきた。そして、昭和三四年には広くそのペツトネームを募つて、四万六千余通の応募はがきから「サトちやん」のペツトネームを決定し、これを広く一般に明示すると共に、昭和三四年一〇月から前記キヤラクターと「サトちやん」の名称を結びつけ、本件商標の図形を「サトちやん」と呼んで、原告商品が「サトちやん」と呼称さるべきことを周知させるための宣伝広告活動を開始した。その後、本件商標の登録査定の時点に至るまでの約一〇年間に亘り(現実には今日に至るまでも)、原告は全国的に、新聞、週刊紙、月刊紙、テレビ、人形の配布等の各種媒体を介して、右宣伝活動を継続してきていた。

3 以上のような長期間に亘る全国的な強力な宣伝活動により、前記1に述べた本件商標の個性化は更に進み、本件商標の登録査定の時点において、本件商標に接する一般需要者、取引者は、これを無性格、無特徴の一般的な「象」を観念したり、「ゾウ」「チビゾウ」「コゾウ」などと称呼することはなく、本件商標の図形に示された特定の擬人化された子象、チビ象のみを観念し、これを「サトちやん」とのみ呼称するようになつていたのである。

仮に、本件商標の登録査定当時、本件商標から「サトちやん」の称呼、観念のほかに「ゾウ」(象)の称呼、観念をも生ずることがあり、商標の構成自体においては本件商標が引用A・B両商標と類似するところがあるとしても、商標類否の判断は商品流通の過程において、すなわち取引の場において、需要者取引者により商品出所の混同を生ずるおそれがあるか否かに基づいて判断さるべきものである。そして、本件商標は、前記1記載のごとき構成に伴う擬人化された個性、同2記載のごとき広告、宣伝の結果、本件商標の登録査定の時点において、指定商品の需要者、取引者は、いわゆる離隔的観察によつても、これを引用A・B両商標と彼此明確に区別しうる状態に至つていたもので、商品出所の混同を生ずるおそれはなかつたから、本件商標が引用A・B両商標と類似の商標であるとした審決の判断は誤りである。

(被告)

請求原因の認否と主張

一  請求原因一及び同二の事実は認める。

二  同三の主張は争う。たゞし、そのうち、原告のいうキヤラクターのペツトネームがその主張の経過で採択され、新聞広告、テレビ放送等がされたことは認める。その結果、本件商標の図形あるいはその置物を見た者の中に、これを「サトちやん」と称呼、観念する者があるであろうことも争わない。

しかしながら、そのことの故に本件商標からは「サトちやん」の称呼、観念のみが生じ、それ以外の他の称呼、観念の生ずることはなく、他方、引用のA・B両商標からは「ゾウ」(象)の称呼、観念しか生じないから両者は非類似であるとするのは誤りである。何故ならば、

1 今日のような情報過多の時代には、原告主張のような宣伝広告をしたからといつて、それだけで広告提供者の期待する効果が得られるというものではない。

2 商標の類否判断は、いわゆる離隔的観察により、通常自然に生じる称呼、観念によつてされるべきものである。一般の取引者、需要者は必ずしも正確に商標の構成を想起できないのであり、いずれも劇画化された象の図形である本件商標と引用A・B両商標とからは、ともに「象」の印象が与えられるので、この点が強く記憶に止まるのである。このように、両者は、「ゾウ」(象)の称呼、観念を共通するところがあるので、類似の範囲を脱することのできないものである。

原告は、仮に本件商標と引用A・B両商標とが商標の構成自体においては類似するとしても、取引の実情を考慮すれば商品出所の混同を生ずるおそれはなかつたから、両者は非類似であるというけれども、本件商標の場合において、具体的にいかなる特殊の取引の実情があつたかについては何ら明らかにしていないのであるから、その主張は理由がない。

仮に、本件商標の登録査定当時、本件商標からは、原告主張のように「サトちやん」以外の称呼、観念は生じなかつたとしても、なおかつ、本件商標と引用各商標とは類似の商標である。何故ならば、引用各商標においても、別紙第二(引用A商標)、同第三(引用B商標)の構成のとおり、実在のインド象・アフリカ象が写実的に描かれているものではなく、幼児にも親しまれるような柔和な感じに戯画化されており、この点において本件商標と共通するからである。したがつて、本件商標を「サトちやん」と称呼、観念する者においても、離隔的観察において、両者を識別することは困難である。そして、本件審決において登録を無効とされた指定商品「せつけん」「歯みがき」の分野においては、消費者は商品の選択に際し、化学品、薬剤、医療補助品の取引におけるような慎重さを欠くのが通例であるから(原告の主張、立証する新聞広告、テレビ放映などは、すべて第一類に属する医薬品についてのものである。)、両者を誤認混同するおそれは充分にある。

第三証拠関係〈省略〉

理由

一  請求原因一、二の事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、原告の主張する取消事由の存否について検討する。

本件商標が別紙第一記載のとおりの図形からなるものであることは当事者間に争いがない。

右争いのない図形によれば、本件商標は象を擬人化して描いたものであつて、長い鼻、扁平な耳朶といつた象の本質的な特徴はなお具備しているが、それにも拘らず、まず全体的な姿勢において、象というよりも恰も人の幼児が腰をおろして両手を前に差出している状態を直ちに想起させるように描かれており、その目は象の目が一般に細く小さいものと認識されているにも拘らず大きく、丸く、また、目の上には眉があり、牙はほとんど認められず下唇と区別し難く、さらに、扁平な耳朶は半円形の厚味のある板状となつており、四足の先端も比較的大径の円板状に描かれていて、擬人化の程度は極めて著しく、甚だ個性化された図形であることが認められる。

他方、成立に争いのない甲第七号証(事実摘示の項に記載の各枝番を含む。)、第九号証(同上)、第一〇号証(同上)、第一三号証(同上)、証人畑中健の証言と同証言によつて成立を認める甲第一一号証、第一二号証、第一五号証及び証人沖本一夫の証言並びに弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実が認められる。

原告会社では、昭和三〇年頃より自社の全商品(商標法施行規則における商品分類第一類の薬剤、医療補助品を主として、第四類の薬用石鹸をも含む。)に使用することはもちろん、自社の企業活動そのものを表示し、さらには自社の商品を扱う薬局、薬店を表示するためにも使用さるべきいわゆるトレード・キヤラクターの採択を企図し、昭和三四年にはそのデザインをシナリオライター、童話作家として著名な飯沢匡や童画家として著名な土方重已等の主宰するシバプロダクシヨンに依頼し、本件商標の図形が創作され、これを原告会社のいわゆるハウスマーク的商標として決定した。そして、さらにその立体化したものをプラスチツクで大小幾通りかに製造して需要者、取引者に頒布し、通常本件商標の指定商品をも販売する薬局、薬店に陳列させると共に、広くそのペツトネームを募つて四万六千余通の応募はがきの中から「サトちやん」と決定し、その結果を「毎日新聞」「佐藤協力会報」等を通じて広く一般に明示した。

かくして、原告会社は、昭和三四年一〇月頃から、本件商標の図形を「サトちやん」と呼称し、「サトちやん」といえば、原告会社の企業活動ないしはその取扱商品であることを意味する本件商標の図形(前示認定のとおり、甚だ個性化された座位の小象の図形)を想起せしめるための宣伝広告活動を広範に開始し、その後本件商標の登録査定がされた昭和四四年八月当時まで、およそ一〇年間に亘つて、新聞、雑誌、テレビ等を通じ、あるいはスチール写真、店頭用デイスプレイ、立体化されたプラスチツク製人形の配付等によつて、全国的に右宣伝広告活動を継続してきた。

その結果、当初の昭和三四年一〇月頃には時に原告会社の商品(本件商標の指定商品を含む。)を取扱う薬店、薬局においても、本件商標の図形あるいはこれを立体化した人形は「象人形」「小象」などと呼称されることもあつたものが、おそくとも本件商標の登録査定がされた昭和四四年八月頃までには、右薬店、薬局はもとより、本件商標の指定商品「第四類せつけん類(薬剤に属するものを除く。)、歯みがき、化粧品(薬剤に属するものを除く。)、香料類」の需要者、取引者の間において、広く一般に本件商標の図形を「サトちやん」と呼称し、「サトちやん」といえば原告会社の企業活動ないしその取扱商品を意味する個性化された特色のある本件商標の図形を連想、想起するようになつていた。

以上認定の事実と本件商標のごとく図形のみからなる商標から生ずる称呼、観念の性質、すなわち、商標の称呼、観念は本来自他商品の識別を目的として生ずるものであるから、需要者、取引者はその商標を一面では簡易明快に称呼、観念しようとすると同時に、他面またできる限り当該商標(図形)の示す特定の意味内容に相応しく適切正確に称呼、観念しようとするものであること(たとえば、のらくろの図形を描いた商標であれば、これを「イヌ」(犬)と称呼、観念するよりは「ノラクロ」(のらくろ)と称呼、観念しようとする。)を考え合せると、本件商標の登録査定のされた昭和四四年八月当時においては、本件商標の図形が象の本質的特徴である長い鼻、扁平な耳朶をなお具備しているところから、需要者のうちに稀にはこれを「ゾウ」(象)、「コゾウ」(小象)「チビゾウ」(ちび象)と称呼、観念する者が全くなかつたわけではないとしても、それをもつて、本件商標の類否を決するのは当を得ないものであり、商標類否の判断の観点から見るときは、そのような称呼、観念は生ぜず、個性化された特色ある本件商標の具体的構成に即して、「サトちやん」の称呼及び単なる象(あるいは小象、チビ象)とは異なる本件商標の図形の小象(すなわち「サトちやん」)の観念のみが生ずると認めるのが相当である。

本件商標からは、「サトちやん」以外の単なる「ゾウ」(象)の称呼、観念も生ずるという被告の主張は採用しえない。

被告は、仮に本件商標の登録査定当時本件商標からは「サトちやん」以外の称呼、観念は生じなかつたとしても、なお本件商標と引用各商標とは類似の商標であるという。その根拠は、引用各商標の図形も写実的な象ではなく、幼児にも親しまれるような柔和な感じに戯画化されていて本件商標の図形と共通するところがあるから、指定商品の分野における取引の実情を合せ考えれば、両者は誤認混同を生ずるおそれがあるというのである。

引用A・B両商標の指定商品と本件商標の指定商品中「せつけん」「歯みがき」とが同一もしくは類似の商品であることは原告の明らかに争わないところであり、これらの商品の分野において需要者の商品選択に際し、化学品、薬剤、医療補助品の取引における程の慎重さを欠く場合が仮にないわけではないとしても、本件商標の構成と引用A・B両商標の構成とを対比してみると、本件商標の図形はさきに認定のとおり、長い鼻、扁平な耳朶といつた象の本質的特徴はなお具備しているとはいえ擬人化の程度が極めて著しく、甚だ個性化されたものであるのに対し、引用A・B両商標の図形(引用A商標の構成が別紙第二、引用B商標の構成が別紙第三のとおりのものであることは当事者間に争いがない。)においては柔和な感じの象が描かれているとはいえ、擬人化されたところは全くなく、一般に象と観念される図形を個性化した度合いは本件商標のものに較べて遙かに少なく、「せつけん」「歯みがき」の商品分野における需要者、取引者の注意力の程度をもつてしても容易に、かつ、明確にその相異を認識し、記憶に止めて区別しうるものと認められるから、被告のこの点に関する主張も採用できない。

そうすれば、本件商標と引用A・B両商標とは外観においても異なることが明らかであるから、両者をもつて互いに類似の商標であるとした本件審決の判断は誤りであつて、取消を免れないものである。

三  よつて、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 荒木秀一 藤井俊彦 清野寛甫)

別紙

第一

第二

第三

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